等持院
(臨済宗天龍寺派)

庭園
▲庭園: 夢窓国師の作と伝えられる。衣笠山を借景とした池泉回遊式庭園であるが、今は立命館大学の校舎があって山が隠れているのが残念。池全体の姿が心字をなし、中の島は蓮葉島という。春はツツジ、秋は紅葉が庭園を彩る。


金色にお堂が輝く金閣寺、石庭で世界的に有名な竜安寺、御室桜がかわいらしい仁和寺…、有名な寺々を結ぶ道から少しだけ離れたところにあって、ひっそりとしたたたずまいの、等持院。方丈に入るなり、大きな達磨の絵が出迎えてくれたかと思うと、その向こうには庭へと広がった、静かでくつろいだ空間が待っている。毎年、観光客が増える時期になると思う。こんないい寺を知っていて、よかったなぁ、と。

○等持院の歴史
暦応4(1341)年、足利尊氏が等持寺の別院として衣笠山の南麓に夢窓国師を開山に創建。これが等持院の始まり。尊氏の死後、その墓所となり等持院と改めた。寺格は五山に次ぐ十刹筆頭で、足利将軍家歴代の菩提所となった。堂塔は幾度も焼失したが、江戸時代末の文政元(1818)年にほぼ今の形に再建された。

○等持院のみどころ
霊光殿

霊光殿
尊氏の念持仏の地蔵尊像を中央に、禅宗の祖師・達磨大師像と等持院を開山した夢窓国師像がまつられている。その左右の壇上にずらりと並ぶ足利15代・歴代将軍の木像は壮観である。文久3(1863)年には、尊王攘夷派の志士たちが霊光殿に押し入り、尊氏、義詮、義満像の首を斬り、三条大橋の橋詰めにさらすという事件も起きたが、修復された。

清漣亭


清漣亭
茅葺きの建物で、もともとは見晴台だったと考えられている。改築のときに現在の茶室の形になった。北側の庭園を見下ろす、眺めのよい茶室である。

宝筐(ほうきょう)印塔


宝筐(ほうきょう)印塔
足利尊氏の墓と伝えられる。台座には延文3(1358)年4月の文字が入っている。



・万年山等持院
 京都市北区等持院北町63
 京福電鉄線「等持院」駅下車徒歩10分・市バス「立命館大学前」バス停下車徒歩12分
 9:00〜17:00
 拝観500円
※ページ中の誤った情報について等持院執事様からご指摘がありましたので、訂正いたしました。




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