龍安寺
臨済宗妙心寺派

庫裡
▲庫裡: 石段を上がると正面に見える、禅寺の特徴を備えた「庫裡」


外国人の間でもっとも有名な寺から20分ほど歩いたところに外国人の間でもっとも有名な庭がある。広がる白い砂地に気まぐれに置かれた石の数々。それは日本人にとっても、好奇心を呼び起こす、不思議なもの。しかし、いざ座って庭を眺めてみると、穏やかな、まったりとした気分にさせられる。昔の人は悟りの道を開こうとしたそうであるが、日ごろの疲れや煩わしさを、ひと時忘れに行くのもよいのでは。そんな石庭、龍安寺。

○龍安寺の歴史
この地は円融天皇の勅願寺である円融寺があったところ。平安時代末期に藤原実能(徳大寺実能)がここに山荘を造り、1450(宝徳2)年に応仁の乱の東軍の大将である細川勝元が徳大寺家の山荘を譲り受けて、妙心寺の義天玄承(ぎてんげんしょう)を招いて建立したといわれるのが現在の龍安寺。
本山の妙心寺は、このころ復興途上だったため、しばらくは龍安寺が妙心寺の関山(かんざん)風の禅をつたえる拠点となった。寺は応仁の乱で焼失するが、戦乱が終わってまもなく再建、1488(長享2)年に細川勝元の子の政元が特芳禅傑(とくほうぜんけつ)を中興開山にむかえて再興した。
細川氏の庇護をうけたころには、塔頭は21院あったといわれるが、1797(寛政9)年の火災により、多くの建物を失ってしまい、いまは江戸時代の大寺の面影は感じられない。西源院、大珠院、霊光院のみを現在に残している。
境内には細川勝元夫妻、政元、氏綱の墓のほか、大珠院の前に真田幸村の墓と伝える石塔がある。

○龍安寺のみどころ
石庭

石庭

石庭
方丈の南側の庭は世界的に有名な枯山水の庭園、石庭が広がる。庭の三方向は柿葺き油土塀で囲まれており、長方形の庭には白砂が敷きつめられ、15個の石が向かって左から5.2.3.2.3に置かれている。方丈のどの位置から庭を見ても、全ての石を見ることはできないという。石をふちどる苔は美しいが、石庭内には草木類は一本も植えられていない。それだけに、大変簡素で抽象的な感じを受ける。15個の石は虎が子を連れて竜に向かっているさまを表わし、白砂は海あるいは大河を意味するとの事とか。そのため「虎の子渡し」とも呼ばれる。
庭の作者は不明。その作意にも、仏教の教えに基づく、とか、見る人によっていろいろな解釈が生まれてくる、とか、いろいろの説がある。造られた年代も詳細は不明で、応仁の乱の後であろうといわれる。なお、「石庭」は国史跡、国特別名勝に指定されている。

つくばい


つくばい
方丈の北側の軒下に石造手水鉢「つくばい」が置かれている。徳川光圀(水戸黄門)の寄進といわれているが、本物は方丈の東北側にある非公開の茶室「蔵六庵」に置かれてあり、方丈の北側にあるものは精確に作られた模造品。
「つくばい」の表面に書かれた字は、銭形の中心の「口」を共用すれば、「吾唯足知(われただたるをしる)」と読むことができる。これは、「知足のものは貧しといえども富めり、不知足のものは富めりといえども貧し」という教えを取り入れたものをうまく図案化、表現したものといわれる。

鏡容池


鏡容池
弁天島などの島が浮かび、周囲には松や常緑樹がめぐっており、石庭観賞後の散策に気持ちいい。



・大雲山龍安寺
 右京区龍安寺御陵ノ下町13
 市バス「立命館大学前」バス停下車徒歩10分
 市バス「龍安寺前」バス停下車徒歩2分
 京福電鉄「龍安寺道」駅下車徒歩15分
 8:00〜17:00(冬季8:30〜16:30)
 拝観500円




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