廣隆寺



京都一の歴史を誇る広隆寺。それは聖徳太子の頃までさかのぼります。本尊の弥勒菩薩像の彫刻美をじっくりと堪能しつつその歴史の深さをかんじたいものです。
廣隆寺の歴史
広隆寺は推古天皇11年(603年)に建立された山城最古の寺院であり、四天王寺・法隆寺等と共に聖徳太子建立の日本七大寺の一つです。日本書紀によると、秦河勝が、聖徳太子から仏像を賜わり、これをご本尊として建立したとあります。このご本尊が現存する弥勒菩薩であることも広隆寺に残る書物からわかっています。
秦氏族は、養蚕機織業を中心に大陸や半島の先進文明をとり入れ当時の地方産業発展に努めました。広隆寺はその経済発展を見守りながら、聖徳太子の抱いた理想を伝えてきたことでしょう。また、この太秦の地で度々の災禍にもかかわらず多くの仏像がよく保存されていたことから、民衆にあつく信仰されていたことがうかがわれます。

廣隆寺のみどころ

弥勒菩薩半跏思惟像



弥勒菩薩半跏思惟像
広隆寺に安置されている数多くの仏像、その中でも最も有名なのが623年に新羅から送られたと伝えられている国宝第1号でもある木造弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしゅいぞう)です。
半跏とは台座に腰を下ろし足を組んでいる事をいい、思惟とは思索(しさく)にふけることを言います。弥勒はシャカの入滅後56億7千万年後、乱れきった世となってしまった世界を救う仏と言われています。つまり、半跏思惟像とは弥勒がどのように人々を救うか思索している姿というわけです。
この広隆寺の半跏思惟像は1本の赤松の木から創られています。飛鳥時代の仏像はそのほとんどがクスノキで作られているのですが、この半カ思惟像だけは唯一クスノキではなく赤松で作られています。
当初は全身が金箔で覆われていたものとおもわれます。その証拠に平安時代の広隆寺の記録帳には金色菩薩像と記されています。現在のすばらしい木目は1300年という年月が少しずつ浮かび上がらせたものといえるでしょう。


桂宮院本堂


桂宮院本堂
国宝。1251年(建長3)中観上人により再建。国宝。別名八角円堂。単層桧皮葺八柱造りの鎌倉建築。屋根に八角形の露盤・宝珠を載せています。屋根の勾配は非常に緩くて軒の反りは強く、廻縁が広くて見附が薄いため、軽快かつ安定した印象を受けます。(春秋公開)

霊宝殿
国宝第一号である飛鳥時代の弥勒菩薩半跏思惟像を始め、天平、弘仁、貞観、藤原、鎌倉と各時代の国宝が安置されている。
まず、左手、南に位置する増長天立像(四天王の一つ・重文・藤原)、そして十二神将像が十二体並ぶ。その他にも数々の仏像が並ぶ。不空羂策観音や十一面千手観音、吉祥天立像、十手観音坐像など。

上宮王院太子殿


上宮王院太子殿
本尊に聖徳太子像が安置されている。毎年11月22日に開扉される。



・太秦広隆寺
京都市右京区太秦蜂岡町
Tel:075-861-1461
境内自由(霊宝殿700円)
JR太秦駅下車徒歩7分/京福太秦駅下車すぐ
市バス「右京区総合庁舎前」京都バス「太秦広隆寺前」下車すぐ




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