金福寺
臨済宗南禅寺派
「うき我を さびしがらせよ 閑古鳥」と芭蕉が詠んだ、ひっそりとしたお寺。質素な門構えからも、落ち着きや静けさが感じられる。さほど広くない境内ではあるが、秋の紅葉は美しいものがある。そして、この寺の裏にある丘からは、遠く京都市中を望むことができ、この地を愛した多くの文人が眠っている。高浜虚子もこう詠む。「ゆく春や 京を一目の 墓どころ」
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○金福寺の歴史
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貞観6(864)年、慈覚大師円仁の遺志を継ぎ、安恵(あんね)僧都(そうず)が観音像を安置して創建したのが始まり。したがって天台宗の寺院であったが、一時荒廃。江戸中期に円光寺の鉄舟和尚が再興し、臨済宗南禅寺派となった。松尾芭蕉が彼を訪ねて親交が深かったため、のちに鉄舟は彼を偲んで芭蕉庵という庵を建てる。芭蕉庵は荒廃するが、芭蕉を尊敬する与謝蕪村が惜しんで、再興。幕末になって、井伊直弼の愛人・村山たか女(第1回大河ドラマである「花の生涯」(作・舟橋聖一)のヒロイン)は文久2(1862)年、金福寺に入り尼として14年間すごし、当寺で生涯を終ったことなどもある。
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○金福寺のみどころ
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与謝蕪村歌碑
「花守は 野守に劣る 今日の月」 蕪村の句ではこの他にも「三度啼きて 聞こえずなりぬ 鹿の声」というものが本堂に掲げてあり、金福寺で詠んだと説明されている。 |
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芭蕉庵
安永5(1776)年に与謝蕪村が再興した。 |
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与謝蕪村の墓
芭蕉庵の裏山には俳人、歌人、画家などの墓がたくさんある。京都の町並みを眺めることができる。 |
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与謝蕪村肖像画
この他にも本堂の中には蕪村や蕪村一門の遺品、絵画、短冊などが多くある。 |
・仏日山金福寺 京都市左京区一乗寺才形町20 市バス「一乗寺下り松町」バス停下車徒歩7分・叡山電鉄鞍馬線「一乗寺」駅下車徒歩25分 9:00〜17:00 拝観300円 |