実相院
(単立寺院)

一仏八僧の庭
▲一仏八僧の庭: 一体の石仏に石組みを配して、釈迦が伽邪園において八大弟子に華厳経を説く構図。石仏は鎌倉時代の作。かつては蹴鞠の庭であったといわれている。


京洛の喧騒から離れた地、岩倉。そこに「岩倉門跡」、「岩倉御所」と呼ばれ栄えた寺がある。雄大な比叡山を背景に広がる枯山水の庭。古くは高貴な方々が茶会を開き、和歌を詠んだその格式高さの中にありながら、今も咲きつづける美しい紅葉を楽しみたい。

○実相院の歴史
鎌倉時代初期の寛喜元(1229)年、現在の北区紫野上野町にて創建。本尊である木造立像の不動明王は当時の作と伝えられる。実相院の前身である実相房が、滋賀県の園城寺内にあったように、当初は天台宗寺門派の寺院。大納言鷹司兼基の子・静基僧正が開基で、のちに五辻通小川に移った。いまでもこの地は「京都府京都市上京区堀川通今出川上る東入実相院町」などの住所となっている。岩倉に移ったのは応永18(1411)年で、もと大雲寺の塔頭寺院・成金剛院があった現在の場所。しかし、この地も戦火を逃れることなく多くの伽藍を焼失する。江戸時代になって義尊が入寺、15代室町将軍・足利義昭の孫で、母が天皇の息子をもうけて皇室と関係が深かったため、寛永18(1641)年、皇室と徳川家光の援助を受けて再興した。また、その後も皇室との関係は続き、のちに後西天皇の皇子義延親王が入室し、天台宗寺門派としては珍しく門跡寺院となり発展、門跡寺院にしか飾ることの許されなかった狩野派の絵画や、天皇真筆の宸翰など、貴重な文化財も多く現存する。明治以降、門跡寺院の制度は廃止され、また昭和27(1952)年、独立して既成宗派に属しない単立寺院となった。

○実相院のみどころ
本堂

本堂

本堂
正面の門「四脚門」、玄関横の「御車寄」、中の建物「客殿」は、享保6(1721)年、義周法親王のときに、東山天皇の中宮・承秋門院の旧殿を移築したもの。岩倉具視が住んでいたことも。 内部は狩野派の襖絵が集結し、その数100点を優に超える。国宝に指定されている後陽成天皇直筆の「仮名文字遣い」や後水尾天皇直筆の掛け軸など皇室ゆかりの寺宝もぜひ見ておきたい。 部屋の床は「床紅葉」「床緑」と呼ばれる黒光りする床で、板の間に写る紅葉は格別美しい。

池泉回遊式庭園


池泉回遊式庭園
奥書院と客殿との間にあり、離宮などに多く見られる。善阿弥の孫・又四郎の作庭といわれる。自然石の大きな沢渡(石橋)、背後の山の借景など、桃山時代の豪壮な作風。明治になって加工された。四季折々に様々な植物が庭を彩る。
また、書院奥の庭池には、日本では数少なくなったモリアオガエルが生息し、産卵の時期は特別に書院まで行くことができる。

実相院日記


実相院日記
歴代門主や坊官が綴り、260年間にも及ぶ。古いものは明暦元(1655)年〜寛文9(1669)年の一冊で、正徳6(1716)年からはほぼ毎年一冊づつあり、明治期まで続く非常に史料価値の高い貴重なもの。特に幕末期は、宮家・徳川家双方ともゆかりが深かったため、貴重な情報が豊かであり、将軍家の動向から、巷の俗塵の噂まであらゆるものが記されている。



・紫雲山実相院
 京都市左京区岩倉上蔵町121
 叡山電鉄鞍馬線「岩倉」駅下車徒歩20分・京都バス「岩倉実相院」バス停下車すぐ
 9:00〜17:00(12月〜2月は9:00〜16:30)
 拝観500円




過去レジュメのページへ

inserted by FC2 system