京都御所
京都御所は、南北朝時代の光厳天皇が元弘元年(1331)に里内裏だった土御門東洞院殿を皇居
と定めたものです。以後、信長、秀吉、家康らが修理、造営を行いましたが焼失し、現在の建物は総奉行・松平定信によって安政2年(1855)古制にのっとって再現されたものです。
御所の正殿ともいわれる「紫宸殿」は、即位の大礼など大儀が行われるところで、檜皮葺、総桧造りの清楚な感じの建物です。また「清涼殿」は、天皇の日常の住居であったところ。そのほか、小御所、御学問所、御常御殿など典雅な建物が並び建ち平安朝のムードを今に伝える優雅なたたずまいです。
○紫宸殿 入母屋檜皮葺き、総檜造りの高床式純木造神殿造り
歴代天皇の即位式や元旦・節会(せちえ)等が行われ
た御殿です。 紫宸殿に登る階段は十八段あって、その
昔の天皇はこの「十八段の階」より昇殿していたそうです。
東側に左近の桜、西側に右近の橘が植えられています。
これらは、ひな壇のおだいり様とおひな様の横にある木
のモデルとなっています。
正面には高御座と右側に御帳台が置かれています。古来天
皇が即位、朝賀、節会等の晴れの儀式を行う際にはこの高御
座に着かれました。御帳台は皇后の着かれた処です。
明治天皇、大正天皇、昭和天皇の即位の儀式もここで執り行
われました。
○清涼殿
中殿ともいいます。公的な場である紫宸殿対し清涼殿は天皇の
日常の住居として使われていました。正面中央には御帳台を置き、
休息にあてられました。向かって右が夜御殿という寝室となってい
ます。また、中央後側には、御湯殿、朝餉の間、台盤所などがあ
ります。
紫宸殿と同じ入母屋檜皮葺きですが、床が低く間仕切りの多い
構造となっています。
○諸大夫の間
諸大夫の間は、正式の用向きで参内した者の控えの建物です。身分に応
じた3つの間が用意されていました。
向かって左側から諸大夫の間−桜の間(原在照筆)、殿上人の間−鶴の
間(狩野永岳筆)、公卿の間−虎の間(岸岱筆)に分かれています。
○小御所
御元服御殿ともいいます。東宮御元服、立太子の儀式など皇太子の
儀式が行われた所です。また、年始御礼、御楽始め、和歌御会始め、
将軍のお使いとの御対面なども行われました。
明治維新の有名な「小御所会議」もここで行われました。
○常御殿
天皇の日常の御座所として用いられていました。御所の中で最
も大きな御殿です。古くは仁寿殿が、後には清涼殿が永く常御殿
とされていましたが、室町時代から近世までこの御殿がつかわれ
ていました。明治天皇もしばらくここで生活されました。内部は
実用性を重んじた書院造りが随所に採り入れられています。
○御庭池
小御所の東側に位置する回遊式庭園。内裏の池には数々の橋がかかっていますが、欅橋
が代表的なものとなっています。写真中央にうつっているやつです。
京都御所一般公開
春と秋の2回、各5日間午前9時〜午後3時。日ごろは事前の申し込み以外に参観が許されないだけに、期間中は大変な人出でにぎわう。西側の宜秋門から入るが参観コースには等身大の人形や調度品も飾られる。無料。地下鉄今出川600メートル。問合先:宮内庁京都事務所 075-211-1211