永観堂
(禅林寺)
浄土宗西山禅林寺派

永観堂


「奥山の 岩垣もみぢ 散りぬべし 照る日のひかり 見る時なくて」、と詠んだのは、都が京都に移ってきて間もないころの、寺になる前の永観堂の持ち主。山奧の岩壁に生える紅葉した木や草は、美しく色づきながらも、光を浴びることなく散ってしまうだろう、そのように我が身も、世間の脚光を浴びることなく、ひっそりと世を去ることだろうと嘆く。1200年もの昔から多くの文人に親しまれ、いまでも「もみじの永観堂」と呼ばれるほどの東山屈指の紅葉の名所。11月も半ばになると、全山が錦に染まる。すばらしい景色を遺してくれた先人に、感謝。

○永観堂の歴史
853(仁寿3)年、藤原関雄という文人の山荘を、空海の弟子、真紹が真言宗の道場に改めたのが起こり。一時的に衰微するものの、平安時代中期に入寺した永観(ようかん)律師によって浄土宗の道場となり、中興した。貧しい人々に施し、念仏行道をした彼を民衆は讃して、寺を永観堂と呼んだ。鎌倉時代中期には浄土宗の中心寺院となって興隆するものの、応仁の乱で堂宇は焼失してしまう。戦が終わってまもなく土御門天皇の命で再興し、伽藍が整備されて現在に至る。

○永観堂のみどころ
悲田梅


悲田梅
永観律師は貧しい人々を救い、その薬食の助けとして梅林を育てた。

阿弥陀堂


阿弥陀堂
本尊の阿弥陀如来立像、通称「みかえり阿弥陀」を収める。永観が念仏行道をしていたときに気がつくと、阿弥陀如来が須弥壇から降り、永観の先に立ち念仏行道を始められ、あまりのありがたさに永観が立ち止まっていると、阿弥陀如来が左に見返り「永観おそし」と呼びかけられ、この姿を永くとどめたまえと永観が祈ると、阿弥陀如来像は見返ったままの姿になったという言い伝えがある。像の製作年代はおよそ鎌倉時代初期と考えられている。

釈迦堂前庭


釈迦堂前庭
勅使門の前にある市松模様を描く美しい庭。その位置からわかるようにこの砂盛りは、昔、天皇の勅使がこの砂の上で身を清めていたそう。

三彷の松


三彷の松
珍しい松で、葉が長く、しかも三本であることからこれを持っていると三つの福が備わるといわれる。



・聖衆来迎山無量寿院禅林寺(永観堂)
 京都市左京区永観堂町48
 市バス「永観堂前」バス停下車徒歩5分
 9:00〜16:00(11月は8:30〜16:30・18:00〜21:00)
 拝観500円(11月1日〜12月第1日曜は1000円)




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