醍醐寺
真言宗東寺派

五重塔
▲五重塔: 京都府下最古の建造物で国宝。醍醐天皇の冥福を祈るため朱雀天皇が起工、村上天皇の天歴5(951)年に完成した。初層の内部に描かれた壁画も国宝に指定されていて、両界曼荼羅の諸尊や真言八祖像が余すところなく描かれ、特に真言八祖の空海像は、現存する空海の画像では日本最古のもので貴重。


豊臣秀吉が盛大な花見を開いた場所として知られる醍醐寺。その花の咲き誇る美しい姿は文句のつけどころがない。なにせ京都の町のはずれのほう、一山まるごとがお寺の敷地。広い境内にいると、見えるのは山の木々と由緒ある伽藍だけになる。まじり気のない、昔々の雰囲気を感じられるのは、まさに「醍醐味」といえよう。

○醍醐寺の歴史
聖宝理源大師が霊示により醍醐山上に泉を得て、その湧き水を飲んで一言「ああ、醍醐味なるかな」。これが「醍醐寺」の由来と伝えられる。理源大師はそこに草庵を建てて准胝観音と如意輪観音を安置した。貞観16(874)年のことである。延喜7(907)年には醍醐天皇の勅願により薬師堂、五大堂が建立され、上醍醐の伽藍が完成。下醍醐も延長4(926)年に釈迦堂を建立、天歴5(951)年に五重塔が落成する。
そののちも、真言宗小野流の中心寺院として重要な地位を占め、政治との結びつきも強かった。平安末期には醍醐源氏が入寺、勝覚が座主の時代には山上、山下共に伽藍が整備され、永久3(1115)年には三宝院を建立、醍醐寺発展の基礎ができる。また、南北朝時代には醍醐寺内部において、後醍醐天皇と弘真(文観僧正)、足利尊氏と賢俊の交渉などがあって、二派にわかれて対立した状態が続くことなどもあった。
応仁の乱では五重塔のみを残し下伽藍の堂宇は灰燼に帰してしまうが、桃山時代に座主・義演僧正に帰依した豊臣秀吉により、伽藍、三宝院殿舎・庭園が復興され、慶長3(1598)年には醍醐の花見が盛大に催された。
江戸時代には、修験道中興の祖・理源大師により継承されてきた三宝院の修験(山伏)を「当山派」と称し、当山派修験道の根本道場となる。現在も毎年6月7日に花供入峰修行が行われている。また上醍醐・准胝堂は"西国第十一番札所"として、五大堂は"五大力さん"信仰の中心として、現在でも広く信仰を集めている。

■上醍醐
もとは山岳道場であっただけに、険しい山の深い森の、わずかに切り開かれたところにただずむ伽藍が印象的だ。

○上醍醐のみどころ
准胝観音堂


准胝観音堂
准胝堂の創建は貞観18(876)年。現在の建物は昭和43(1968)年に再建されたもの。本尊准胝観音がまつられる。毎年5月18日には御開扉法要が営まれ、前後3日間だけご開帳される。西国第十一番札所として参拝客が絶えない。

清瀧宮(せいりょうぐう)拝殿


清瀧宮(せいりょうぐう)拝殿
創建は寛治2(1088)年だが焼失し、永享6(1434)年の再建。山腹をわずかに切り開いて建てられているので、前面が崖にさしかかり懸造り(舞台造り)となっている。寝殿造りの手法を生かした気品ある建物で国宝に指定されている。

薬師堂


薬師堂
延喜7(907)年に創建、保安2(1121)年の再建。約900年の時を経た、上醍醐最古の建物で国宝。本尊は理源大師が弟子に創らせたと伝わる薬師如来像と日光・月光像(国宝)だが、今は霊宝館に移されている。

開山堂


開山堂
延喜11(911)年に、理源大師の弟子で醍醐寺第1世の観賢座主によって建立され、この頃は御影堂と呼んだ。現在のお堂は、慶長11(1606)年に豊臣秀頼によって再建されたもの。上醍醐で最も大きいお堂で、内部中央に理源大師像、左に弘法大師像、右に観賢僧正像が奉安されている。重文。
五大堂


五大堂
昭和7年に焼失した後の再建。五大明王像をまつる。お堂の前には、理源大師像。

醍醐水井戸


醍醐水井戸
貞観16(874)年、理源大師が霊示により感得した霊泉。今も湧きつづける「醍醐味」を味わってみたい。

■下醍醐
醍醐山の麓の緑多い中に、金堂や五重塔などが建ち並び、その壮大な伽藍に圧倒される。

○下醍醐のみどころ
清瀧宮本殿


清瀧宮本殿
醍醐寺の総鎮守清瀧権現(せいりゅうごんげん)をまつり、真言密教法流伝承の守護神として崇拝されている。永正14(1306)年に創建されたが、兵火により焼失。慶長4(1599)年に再建されたもの三間社流造りで、重文に指定されている。

大講堂


大講堂
大講堂を中心に広がる、林泉、弁天堂、地蔵堂、鐘楼、伝法学院等を総称して大伝法院と呼ぶ。これら諸堂は、醍醐天皇一千年御忌を記念し、昭和5(1930)年に山口玄洞居士の寄進により造築されたもの。

金堂


金堂
醍醐寺金堂は、醍醐天皇の勅願により延喜4(904)年に創建され、当時は釈迦堂と呼ばれていたが、永仁3(1295)年、放火により焼失。現在の金堂は、豊臣秀頼が仁王門(西大門)とともに和歌山県湯浅の満願寺本堂を移築したもの。平安後期の雄大な建築で、国宝に指定されている。金堂の中央には、薬師三尊・日光・月光菩薩像(重文・鎌倉初期)が奉安され、その左右には、四方を守護する四天王立像(平安時代)が配されている。

■三宝院
広い庭ににぎやかに配された庭石の数々。池のほとりでまったりと景色を楽しんだ後は、桃山時代の建築の数々を見ていきたい。

○三宝院のみどころ
表書院


表書院
庭に面して建つ。書院とはいえ縁側の勾欄や泉殿など、寝殿造り風の意匠も見られる。国宝。
奥宸殿


奥宸殿
江戸初期に建てられたといわれ、田の字型の間取り。重文。上座の間は、床棚書院と帳台構を備えている。棚は、「醍醐棚」と呼ばれる有名な違い棚。

唐門


唐門
朝廷からの使者を迎える時だけに扉を開いたとされる門(勅使門)。桃山時代の気風を今に伝える。国宝。

築山泉水庭園


築山泉水庭園
慶長3(1598)年に、豊臣秀吉が「第五の花見」に際し、庭奉行・竹田梅松軒らに命じて築庭させた。中でも名石・藤戸石は聚楽第より運ばれたものである。

苔庭


苔庭
「酒づくしの庭」と呼ばれ、本堂わきにある、苔と白砂だけでこしらえた庭。ひょうたんの形をした苔がかわいらしい。

■霊宝館
平成13年10月に改修オープンした。敷地面積34,229平方メートルと広く、8棟に分かれている。国宝10点、重文50点を含む約70点が展示され、入れ替えもおこなわれている。春と秋のみに公開されている。

・醍醐の花見
慶長3(1598)年に豊臣秀吉によって盛大に行われた醍醐の花見。今も上醍醐・下醍醐合わせて8万坪の境内には約2000本の桜が植えられ、花見の名所となっている。4月第2日曜日には当時をしのんで「豊太閤花見行列」が行われる。

・五大力尊王会
この法要は上醍醐の五大堂にまつられている五大明王の功徳をたたえ、国家の安穏と万民の豊楽を祈るもので、「五大力さん」の名で親しまれ全国からの参拝者で境内はにぎわう。毎年2月23日に営まれる。この日に授与される五大力尊の"御影"は、上醍醐の五大堂で一週間に亘って祈願されたもので、災難・盗難除けとして広く信仰を集めている。当日は、柴灯大護摩供が終日厳修されるほか、男子150kg、女子90kgの鏡餅をどれだけ長く持ち上げていられるかを競う「力餅競べ」なども行われる。



・深雪山醍醐寺
 京都市伏見区醍醐東大路町22・京都市伏見区醍醐伽藍町
 市営地下鉄東西線「醍醐」駅徒歩10分・京阪バス「醍醐三宝院前」下車すぐ
 上醍醐へは下醍醐から徒歩約1時間
 9:00〜17:00(12月第1日曜日の翌日から2月末までは9:00〜16:00)
 醍醐寺拝観・三宝院拝観・霊宝館入場各600円(共通券は2つで1000円・3つで1500円)




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