知恩院
(華頂山知恩教院大谷寺)
浄土宗大本山

三門
▲三門(国宝): 日本最大の木造楼門であり見る者みな圧倒される


○知恩院の歴史
鎌倉時代、法然上人が念仏布教のために「吉水(よしみず)の草庵」を結んだことから歴史は始まっています。法然の死後、文暦2年(1234)弟子の勢観房 源智上人が伽藍を建立したことにより基礎が確立。江戸時代になって徳川家により現在のような壮大な伽藍になりました。一説によれば幕府は知恩院を有事における京都防衛の拠点に考えていたともいわれています。

○知恩院のみどころ
御影堂


御影堂(みえいどう)(国宝)
法然上人の御影をまつることからこの名がついています。徳川家光の寄進によって寛永16年(1639)建立されました。約3000人が入るといわれるほどスケールが大きいです。唐様を加味した和様建築。

大鐘楼


大鐘楼(重文)
寛永13年(1636)鋳造された重さ約70tの鐘は、方広寺や東大寺とならぶ大鐘として知られています。ここの鐘の音は大晦日のテレビで広く聞かれています。鐘だけでなく、これをつるす鐘楼ももちろん一見の価値があります。天竺様(唐様)の建物。

大方丈


大方丈・小方丈(重文)
いずれも寛永18年(1641)の建築で書院造をしています。襖には狩野派の絵が描かれていますが、大方丈のものは豪華なのに対し小方丈のものは淡白と、趣深くなっています。石組とサツキで阿弥陀仏来迎を表した庭園もみどころ。左の写真は大方丈。

勢至堂


勢至堂(重文)
浄土宗の開祖 法然の晩年の地で、知恩院ひいては念仏の起源の場所。享禄3年(1530)に再建された知恩院最古の建物で 法然の幼名「勢至丸」ゆかりの勢至菩薩を本尊としています。


○知恩院の七不思議
1. うぐいす張りの廊下 @御影堂から大方丈・小方丈の間
「法(ホー)聞けよ(ケキョ)」と鶯の鳴き声 に似た音をたてる。
侵入者を防ぐための工夫で、静かに歩こうとするほど 音をたてる。


2. 白木の棺 @三門楼上
三門建設にまつわる悲しいお話。
偉業を成 した大工の棟梁・五味金右衛門(ごみきんえもん)だが、
建設予算を超えた 責任をとり妻ともに自殺。夫妻自作の木像を納めた棺がこれ。


3. 忘れ傘 @御影堂正面の軒下
狐の化身・濡髪童子(ぬれがみどうじ)が御影堂 建設により棲居がなくなるのを訴えたところ、新しく棲居ができたのでそのお 礼と伝えられている。
また、知恩院建設に加わった名工・左甚五郎(ひだ りじんごろう)が魔除けに置いたとも。
いずれにせよ傘は水を呼ぶことか ら火災除けとされている。


4. 大杓子 @大方丈入口の廊下の梁
長さ2.5m、重さ30kgもあるとても大きい杓子。
阿弥陀仏の慈悲ですべての人を「すくい」とるというのを表したもの。


5. 抜け雀 @大方丈の菊の間
襖にはかつて狩野信政による見事な雀の絵が描かれていた。
しかしあまりに優れた作品だったため、雀に命が宿り、襖から抜けて飛んでいったという。


6. 三方正面真向きの猫 @大方丈廊下の杉戸
ここの猫の絵は、正面・右・左どの角度から見ても、正面からにらまれているようにみられるためこの名がつく。
いつでもどこでも見守って下さっている仏様の慈悲をあらわしている。


7. 瓜生石(うりゅうせき) @黒門の西
知恩院ができる前からあったと言われる大きな石。
昔この石に植えた覚えのない瓜が一夜のうちに生えて実をつけ、祇園の牛頭(ごず)天王(てんのう)(牛の頭を持つ除疫神)が現れたという言い伝えがある。


・華頂山知恩教院大谷寺
京都市東山区林下町400 
市バス「知恩院前」下車徒歩3分
方丈・山亭庭園400円
9時〜16時




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